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NabetsumaJunk「いいこともあるさ〜」の巻

寒いですね・・京都は雪です。。。いただきもののベーコンブロックでポトフを作ったのは12月の初旬。正月は雑煮くらいかな。さびし。。。
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11月の帰郷直後に開通したのは「光ファイバー」。我家はNTTの電波塔から50mくらいしか離れていないので、以前のADSLよりそんなに高速になったとは感じない(つまりADSLが速かった)。but・・価格コムから申し込んだので「JCBのギフトカード1万円」がこの年末に関わらず届いた! うれしーー 

来年はきっといいこともあるだろう、と思いつつ恒例の「朝まで生テレビ」を途中まで観ながら年明けに。朝生、1987年から続いている番組。23年も見続けていることになるらしい。
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by nabetsuma | 2010-12-31 17:06 | ナベツマジャンク

NabetsumaJunk「院内最強のホラフキエモン」の巻

帰郷してからの1週間、手術を待っている間にサインした書類はゆうに三十枚にものぼったと思う。というのも大抵が2〜3枚綴りなので、それぞれに捺印必須。結構な数であった(ケアマネさんが救急搬送から入院までの書類は引き受けてくれた)。

◉入院診療計画書
◉骨髄穿刺・骨髄生検に関する検査説明書・同意書
◉手術・検査説明書、手術・検査同意書
◉輸血に関する説明書、輸血に関する同意書
◉麻酔説明書、麻酔同意書
◉血漿分画製剤等使用同意書
◉特定疾患医療受給者証交付申請書
◉特別療養(有料個室等)入室申込書
◉地域連携診療計画書(リハビリ&転院スケジュール表)

加えて、それぞれの担当者からインフォームド・コンセントが行なわれる。充分に口頭で説明してもらい質疑応答もあり、患者や患者の家族には有益ではあるが医療従事者にとって、これに割いてる時間が積もりに積もって本来の仕事にしわ寄せがきているのでは?と感じたりした。

さて、わが母、手術室へ運ばれていく途中、ベッドを移動してくれた看護師さんから「○○○さん、400万の指輪、ちゃんと外した?」と聞かれて「娘に外してもらった」と。「すごいよね、400万円だもんね、気をつけておかないとね」と別の看護師さん。ふたりはクスクスと笑っている。その会話を聞いていたあたくし「お母さん、400万の指輪だったの、あれって」と聞きただすと「そうなんよ400万。いったいだれがこうたんやろうねえ・・」ってすっとぼけていた。ふたりはここで大爆笑。真意のほどは確かではないが(軽く惚けてるからね)、あれが400万かああ・・目を凝らせへんと全然見えないちっちゃなダイヤだけどね。ありえん!プッ!

ICUのなか。母は手術後、ICUで一晩過ごした。ちなみに手術前に外したのは指輪だけでなく「入れ歯」もよ。ご参考まで。
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by nabetsuma | 2010-12-30 19:59 | ナベツマジャンク

NabetsumaJunk「ガンコモン、世にはばかる」の巻

父、82歳、元電報局局員、アマチュア将棋の棋士、20年ほど前までプロ棋士を2名育て、子ども将棋教室を主宰していた。娘を棋士にする夢叶わず(戦略悪し。女流棋士になったあかつきにはハワイに行けると甘い言葉で誘ったが、その娘、ハワイなんかにゃ興味なし。パリに行けると誘えば変わったかも?)、娘の伴侶の条件として『自分より将棋が強いこと必須』と、娘が幼き頃より耳タコで育てた頑固モン。

2000年に介護保険が始まった翌年にはその認定を受けていたから、すでに9年の介護保険被保険者なのだが、ガンコモンゆえに、ウィルスをもらうのが嫌だといってデイサービスに行こうともせず(単に協調性がないから集団生活になじめないだけ)、ヘルパーにイチャモンをつけことごとく首にし、何かというとすぐにかかりつけ医を往診させる「暴君ハバネロ』のようなやつ。じじ捨て山があれば真っ先に捨てに行きたいが、たぶん・・のし(受け取り拒否)をつけて返却されるだろ。

これまで、家事なんかひとつだってやっているのを見たことないが、ひとりになっても何でも自分で出来ると豪語していたことをさっそく実践したのか、実家の玄関を入ったところに洗濯カゴが置いてあった。置いてあったというのは「干すのは自分以外」という意味。しかも、その洗濯カゴに入っていた物は・・下着に紛れて真っ黒な雑巾が半分を占めていた。どうやれば雑巾が混じるのか?

そういうやつに限って、いざ自分がひとり暮らしになったら「来週からヘルパーさん来てもらってもええから」なんて都合の良いことをさらりと言ってのける。どの口が言うかね、まったく、誰が来たいってか!? 

<ガンコモン関係>
◉包括支援センターに頼んで来月からのケアプランをヘルパー訪問回数3回
 (要支援2でマキシマム)にしてもらうよう要請。
◉介護度の「区分変更」の申請&主治医の意見書作成のための受診&調査の
 日程調整(ケアマネ付き添いの予定)
◉「障害者自立支援法」の申請&担当者の訪問調査
◉「市の福祉サービス/移動支援(視覚障害者)」申請&担当者の訪問調査
◉ヘルパーステーションと週3回の家事支援の日程&内容の話し合い

母の見舞いと担当医師との懇談(日中の手術が終了してからなのでいつも夜8時以降)を間に挟みつつの日々であった。加えて母親の特定疾患医療受給者証申請では、書類を揃えるのが結構手間で、病院と市役所と県庁を往復するはめに。そのうえ、夜間に母が錯乱し大声で叫んで周囲が迷惑、と、ナースステーションからはお小言が・・・あのぉ、認知症の患者が環境ががらりと変わっているんだから不安になるのはしょうがないんでは? 子どもが夜泣きをしたら、やさしい声で応えてよしよしと体をさすって、と、老人も同じと捉えてほしいなあ。。。
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by nabetsuma | 2010-12-29 20:39 | ナベツマジャンク

NabetsumaJunk「コトの顛末その2」の巻

すでにおまかせできる環境下にある母はともかく、非常にやっかいな父親のひとり暮らしをどうするかが大問題であった。この父親、身障1級のくせに「母親の面倒はわたしがみている」という大勘違いおとこで、実際のところは視覚障害&肺機能障害の父を、軽い認知症の母親が父の目の代わりとなり、買物から洗濯、ゴミ捨てと毎日励んでいたのである(その内容は・・別として)。17&18とスケジュール調整、ケアマネとの電話打ち合わせ、市役所の障害福祉課との電話協議などなど、フルにネットと電話を使ってできるだけの情報を集め帰郷に臨んだ。なぜなら実家にはネット環境がないため。
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この写真の小瓶2つ・・すっげーークスリなんすよ。<献血ヴェノグロブリン> 薬価ねえ・・50cc1本で・・26606円・・これをガンガン使う・・おかげさまで3日間の投与で血小板は2万単位ずつ増加、手術日までに11万を回復。無事24日に手術を行なうことができた。みなさまご心配いただきありがとうございます!

*ガンコモンの話はいずれまた。

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by nabetsuma | 2010-12-28 22:47 | ナベツマジャンク

NabetsumaJunk「コトの顛末・・」の巻

12月16日木曜日夕方、母は町内のお世話役の方に送られて集会所のカラオケから帰宅し、トイレに入ろうとして転倒。脳梗塞型の認知症である母にとって、この日は非常に寒かったことが伏線になった事故である。ここまでは誰にでも起こりえる出来事。ここからが問題。

父はちょうど居合わせたヘルパー(掃除中だった)の申し出を断り、たいしたことないからと119番を拒む。翌朝、京都からの連絡により駆けつけたケアマネージャーと私の電話で説得され、ようやく母は救急搬送された。この間約17時間。
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26日のブログで紹介した「特定疾患医療受給者証申請」とは母のための申請である。病名は『特発性血小板減少性紫斑病』、救急搬送後すぐにオペが出来なかったのが、この血小板の減少。一般的に11万単位以上あるべき血小板の数値が母の場合1.4万しかなかったのだそうな。(血小板=10万個以下になると血が止まりにくくなり、さらに5万個を切ると自然に鼻血が出たり皮下出血が始まって紫色の斑点が出たりする。3万個以下では腸内出血や血尿、2万個以下になると生命も危険になる。)つまりは・・1.4万じゃあ外科医もさすがに手術に踏み切れなかったというわけですね。

17日に整形外科の担当医と電話で話をした際には、いずれにしても手術はすぐにはできない、早くて12月24日(イブかよ!?)もしくは28日になると告げられた。28日に出来なかったら年明けと言うより手術なしの保存療法になるかも?と。。きゃあ、そんなあ、やめてぇーーー(寝たきりか車いすになっちゃう)

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by nabetsuma | 2010-12-28 22:03 | ナベツマジャンク

NabetsumaJunk「頑固じじぃ・・」の巻

泣かされるモン:ガンコモン

連チャン外食で癒されるモン:ポケモン
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いずれも「モン」がつきますが、ピンキリの世界。詳しいお話はいずれまた。

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by nabetsuma | 2010-12-27 15:01 | ナベツマジャンク

TabitsumaJunk in Japan「県庁は眺めの良いとこ」の巻

特定疾患医療受給者証申請に県庁の16階へ。
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なんとか帰宅しましたが倒れております。きのうきょう讃岐は・・雪が舞ってました。しばらく休んで・・また・・ああ・・やだーー
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by nabetsuma | 2010-12-26 22:00 | ローカル旅ツマジャンク

NabetsumaJunk「またまた帰郷・・」の巻

母が大腿骨頚部骨折で入院、帰郷します。手術できるかどうか(血小板が少なすぎ)微妙。あらあら、日赤のHPを見たら・・面会は30分以内ですって。
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by nabetsuma | 2010-12-18 21:20 | ナベツマジャンク

TabitsumaJunk「31:パリで“素人歯医者!?”」の巻

1980年3月26日/エカキの手帳より
『アレルギーのほうも思わしくないのでもう一度皮膚科へ行く。簡単には良くならないのだそうだ。午後ナガハシ氏が妻の奥歯の詰物が取れたのを直しに来てくれた(歯科の道具をもっている)。ついでにリュックを預かってもらうことにし三人でまた彼氏のお宅におじゃました。旅行に来ているという大学生の女性が居て、息子がよくなつく。結局またゴハンをおよばれして十時頃までおしゃべり。氏のおくさんはシャンティイで通訳のアルバイトだそうで少々遅く帰って来た。日本のツアーがシャンティイの手芸学校に短期留学しているのだそうだ。明日はイギリスに向けて出発するつもり』

お、恐ろしい・・30年前の出来事だが、覚えていることもそれなりにあることはあるが、この「歯科道具をもって」なんていうお話、この手帳を読んで初めて知った。まあ旅行保険では昔も今も「歯の治療は適用外」なので、こういうこともありだとは思うけど、本当にナガハシ氏の道具で歯科治療を受けたのかどうかは定かでない。

氏のアパートには地下に各部屋専用の倉庫があり、そこに日本を出発以来ヨーロッパのあちこち引きずり回した荷物の多くを置いていくことにしたのだった。当時はバックパッカー型荷物が通常で、ガラガラと引いていけるようなスタイルのスーツケースもなく、加えて絵の道具まで持ち運んでいるため大変重かった。しかも・・いちばん重いお荷物は、すぐグズって歩かなくなるし。。。

前出に「シャンティイの手芸学校」というのがあるが、シャンティイといえば、競馬場お城クレームシャンティが有名だけど、当時は日本人も多く学んでいるという手芸学校があることでも知られていた。検索をかけてみたが、出て来ないなあ・・
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*今ではほとんど見かけない汚れた壁の味わいあるパリ。
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by nabetsuma | 2010-12-16 09:36 | 旅ツマ6パリ→イギリス

TabitsumaJunk「30:パリで“オレンジ拾い”」の巻

1980年3月23日/エカキの手帳から
『またリヨンで中華を食べ、歩いてサンルイ島でソルベを食べる。その途中、路上でオレンジを9個拾った。cite'international des Artsの横の公園でひと休みしてホテルで仕事を続ける』

あっさり書かれているが、この“落ち穂拾い"ならぬ“オレンジ拾い"、行なったのはエカキではなく、ツマのほう。しかもジョルジュ・ポンピドー道路という車がびゅんびゅん飛ばしている道路上であった。この時のエピソードは後にエッセイとして雑誌に掲載されたので一部を引用しておく。

<ソルベの味わいに満足してセーヌ川の堤をぶらぶら歩くことにする。直ぐ下の道路を車がビュンビュン飛ばして行く。一台のトラックが猛烈なスピードで走り去った、その瞬間、派手な黄色の物体がバラバラバラッと転がり落ちた。
「オレンジ!」
一言発した妻はアッと思う間もなく車道に飛び降りた。常には見せない早業で大粒のオレンジを次々に拾う。こんなときのために(?)携帯していた網み上げの手さげ袋に放り込む。かたわらを警笛を鳴らしながら後続車が走り抜ける。轢かれて弾けた果実から深紅の果肉が飛び散った。まるで灰色のアスファルトが血潮を吹いたような光景になる。その様子を息子の手を引いたまま唖然と眺めていた私はぎょっとして目を疑った。そのときまで中身がルビー色のオレンジを見たことがなかったのである。妻は平然と歩道へ駆け戻り、はち切れそうになっている手さげ袋を自慢げにポンとたたいた>


なんとも命知らずの若妻であった。。。運動神経は鈍いんですけど。。。

さて、この日の夜中にエカキは急に発熱し39度の高熱にうなされることになる。真冬に体の芯まで冷えるソルベを、ボールペンが凍るような外気のなかで食べたことが影響しているかどうかは定かではない。。。
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エッセイの続き。
<それからしばらく小さな公園で息子を遊ばせたりしながら、マレのホテルまで歩いて帰った。四階の部屋へうす暗い階段を昇るのにオレンジが重かった。安宿のわりにスチームの効きが良くて、室内は暑いくらいだったから、妻はオレンジや牛乳パックをいくつかのビニール袋に移し、窓の外へ吊るした。袋の取っ手の部分を観音開きになっている窓の握り金具に引っかけ、本体を外に出しておいて窓を閉じる。いわばパリの街を冷蔵庫代わりに使ったのである。

その夜、私は急な発熱におそわれた。ソルベなんか食べるんじゃなかったと後悔しても時すでに遅し。39度の熱が続いて、まるまる二日間うなされた。食物もろくに喉を通らず、ただ、道路で拾ったオレンジだけが高熱でほてった体を潤してくれた。妻がときおり窓外のビニール袋を取り入れては、皮を剥いて口の中に放り込んでくれる。ひやりとした固まりを噛みしめると、申し分のない酸味・甘味・香りを含んだ果汁があふれ出し、スーッと体のすみずみまで沁みわたる。オレンジに貼ってあった小さなラベルから、それはイタリア産だと判ったが、その後イタリアを旅したときにもこれほどの逸品には出会わなかったような気がする。九つあったオレンジのほとんどを病人が一人で食べ尽くした。食べ尽くしたころには良くなっていた。あの味は一生涯忘れられない。

教訓、ソルベは夏に限る。ただしサンルイ島の有名店ベルティヨンは、夏中店を閉めている。>


このエッセイの題名は・・『真冬のソルベ』という。。。
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by nabetsuma | 2010-12-15 09:19 | 旅ツマ6パリ→イギリス

ヴィンテージ・ナベを国内外から収集し「鍋道」を極めんがため精進する不敵な奥様。


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