カテゴリ:旅ツマ6パリ→イギリス( 5 )

TabitsumaJunk「31:パリで“素人歯医者!?”」の巻

1980年3月26日/エカキの手帳より
『アレルギーのほうも思わしくないのでもう一度皮膚科へ行く。簡単には良くならないのだそうだ。午後ナガハシ氏が妻の奥歯の詰物が取れたのを直しに来てくれた(歯科の道具をもっている)。ついでにリュックを預かってもらうことにし三人でまた彼氏のお宅におじゃました。旅行に来ているという大学生の女性が居て、息子がよくなつく。結局またゴハンをおよばれして十時頃までおしゃべり。氏のおくさんはシャンティイで通訳のアルバイトだそうで少々遅く帰って来た。日本のツアーがシャンティイの手芸学校に短期留学しているのだそうだ。明日はイギリスに向けて出発するつもり』

お、恐ろしい・・30年前の出来事だが、覚えていることもそれなりにあることはあるが、この「歯科道具をもって」なんていうお話、この手帳を読んで初めて知った。まあ旅行保険では昔も今も「歯の治療は適用外」なので、こういうこともありだとは思うけど、本当にナガハシ氏の道具で歯科治療を受けたのかどうかは定かでない。

氏のアパートには地下に各部屋専用の倉庫があり、そこに日本を出発以来ヨーロッパのあちこち引きずり回した荷物の多くを置いていくことにしたのだった。当時はバックパッカー型荷物が通常で、ガラガラと引いていけるようなスタイルのスーツケースもなく、加えて絵の道具まで持ち運んでいるため大変重かった。しかも・・いちばん重いお荷物は、すぐグズって歩かなくなるし。。。

前出に「シャンティイの手芸学校」というのがあるが、シャンティイといえば、競馬場お城クレームシャンティが有名だけど、当時は日本人も多く学んでいるという手芸学校があることでも知られていた。検索をかけてみたが、出て来ないなあ・・
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*今ではほとんど見かけない汚れた壁の味わいあるパリ。
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by nabetsuma | 2010-12-16 09:36 | 旅ツマ6パリ→イギリス

TabitsumaJunk「30:パリで“オレンジ拾い”」の巻

1980年3月23日/エカキの手帳から
『またリヨンで中華を食べ、歩いてサンルイ島でソルベを食べる。その途中、路上でオレンジを9個拾った。cite'international des Artsの横の公園でひと休みしてホテルで仕事を続ける』

あっさり書かれているが、この“落ち穂拾い"ならぬ“オレンジ拾い"、行なったのはエカキではなく、ツマのほう。しかもジョルジュ・ポンピドー道路という車がびゅんびゅん飛ばしている道路上であった。この時のエピソードは後にエッセイとして雑誌に掲載されたので一部を引用しておく。

<ソルベの味わいに満足してセーヌ川の堤をぶらぶら歩くことにする。直ぐ下の道路を車がビュンビュン飛ばして行く。一台のトラックが猛烈なスピードで走り去った、その瞬間、派手な黄色の物体がバラバラバラッと転がり落ちた。
「オレンジ!」
一言発した妻はアッと思う間もなく車道に飛び降りた。常には見せない早業で大粒のオレンジを次々に拾う。こんなときのために(?)携帯していた網み上げの手さげ袋に放り込む。かたわらを警笛を鳴らしながら後続車が走り抜ける。轢かれて弾けた果実から深紅の果肉が飛び散った。まるで灰色のアスファルトが血潮を吹いたような光景になる。その様子を息子の手を引いたまま唖然と眺めていた私はぎょっとして目を疑った。そのときまで中身がルビー色のオレンジを見たことがなかったのである。妻は平然と歩道へ駆け戻り、はち切れそうになっている手さげ袋を自慢げにポンとたたいた>


なんとも命知らずの若妻であった。。。運動神経は鈍いんですけど。。。

さて、この日の夜中にエカキは急に発熱し39度の高熱にうなされることになる。真冬に体の芯まで冷えるソルベを、ボールペンが凍るような外気のなかで食べたことが影響しているかどうかは定かではない。。。
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エッセイの続き。
<それからしばらく小さな公園で息子を遊ばせたりしながら、マレのホテルまで歩いて帰った。四階の部屋へうす暗い階段を昇るのにオレンジが重かった。安宿のわりにスチームの効きが良くて、室内は暑いくらいだったから、妻はオレンジや牛乳パックをいくつかのビニール袋に移し、窓の外へ吊るした。袋の取っ手の部分を観音開きになっている窓の握り金具に引っかけ、本体を外に出しておいて窓を閉じる。いわばパリの街を冷蔵庫代わりに使ったのである。

その夜、私は急な発熱におそわれた。ソルベなんか食べるんじゃなかったと後悔しても時すでに遅し。39度の熱が続いて、まるまる二日間うなされた。食物もろくに喉を通らず、ただ、道路で拾ったオレンジだけが高熱でほてった体を潤してくれた。妻がときおり窓外のビニール袋を取り入れては、皮を剥いて口の中に放り込んでくれる。ひやりとした固まりを噛みしめると、申し分のない酸味・甘味・香りを含んだ果汁があふれ出し、スーッと体のすみずみまで沁みわたる。オレンジに貼ってあった小さなラベルから、それはイタリア産だと判ったが、その後イタリアを旅したときにもこれほどの逸品には出会わなかったような気がする。九つあったオレンジのほとんどを病人が一人で食べ尽くした。食べ尽くしたころには良くなっていた。あの味は一生涯忘れられない。

教訓、ソルベは夏に限る。ただしサンルイ島の有名店ベルティヨンは、夏中店を閉めている。>


このエッセイの題名は・・『真冬のソルベ』という。。。
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by nabetsuma | 2010-12-15 09:19 | 旅ツマ6パリ→イギリス

TabitsumaJunk「29:パリで“保険会社通い”」の巻

エカキの手帳によると、パリではルーブルを初めとしてあちこちの美術館を尋ね歩いたようだ。特にギリシャやエジプトの展示が素晴らしいとある。ある日はポンピドーセンターのMUSEEで、A.MARQUETのロッテルダムという港の風景が目についたらしい・・ロッテルダムといえば、英国に渡りその後大陸に戻ってから一騒動あった因縁の場所である。そのお話はいずれまた。。。

日参していたルーブル宮、エカキの見たい展示部屋がずうっと閉まっていたらしい。ぶつぶつ不満が書かれている箇所もあったりする。そうすると、元々興味のない部屋(ロココの装飾品や陶磁器ですと)や嫌いな作品も見た、とある。

3月22日/エカキの手帳から
『今日もルーブル通いだが相変わらずどこも見られずじまい。ただ、ファン・アイクだけわずかに格子戸のすきまからのぞき見た。(まるでアート系ピーピングトム?)RUE DU BACのLe Jardinという自然食レストランへ行く。やや高かったが味はまあまあだった。昼、少々油絵に手を入れ、夕方ナガハシ氏のアパルトマンへおじゃまする。1000Fにしては立派なところで、うらやましかった。夕方ヴァンサンヌのCHATEAUのまわりを散歩。フランスゴチックらしい優雅さとぶっきらぼうな感じがあって悪くない。夕食にスキヤキをごちそうになった。』
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たぶんこの頃だと思うが、皮膚科にかかったあと、保険会社のパリ支店に出向いた覚えがある。出国前に親子3人分の旅行保険をかけていた。1年間分だからそれなりな費用だったが、こういう時に備えてだったから、当然払い戻しが受けられるものと考え、医者と薬局の領収書を持参した。

それは英国のロイヤル・インシュアランス(その後、名前がロイヤル・サンアライアンスに変わり、現在はAIGに統合された?)という保険会社だったが、パリ支店とは名ばかりで、違う業種の事務所が代理店の窓口として名義と場所を貸していたような様子だった。というのも、保険の証書を見せ、かかった費用の払い戻しを受けたいと申し出た我々に対し、英国に何度も電話したりと右往左往するスタッフで大騒ぎになったから。どうやらそれまでそのような手続きにやって来た被保険者がいなかったらしい。ドタバタしたあげく、我々の心証を悪くしてはと思ったかどうか、治療費はきっちり支払ってもらえたのだ。彼らはしきりと「ノープロブレム!」を乱発していたのが印象的だった。

まあ・・いろいろあらーね!
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*左下の赤いお店は馬肉屋さん。上の写真で、跳ねた馬のイラスト(タイル画)が見えると思うが、30年経った現在、馬肉屋さんはもうないが、この店の「跳ねた馬のタイル」は残っており、同じ場所で営業している装飾用品の店の壁面を飾っている。
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by nabetsuma | 2010-12-14 15:54 | 旅ツマ6パリ→イギリス

TabitsumaJunk「28:パリで“医者通い”」の巻

1980年3月20日
パリに戻って1週間、数日前より親子3人の皮膚に湿疹ができ痒くて困りはて近くの薬局に出向いた。エカキが懸命に仏語で説明したが(こういう症状などの説明が詳しくできるほどの仏語習得でなかった)、薬剤師はなんとなく察したのか、我々の発疹を診て「ギャルだ!」と言った。ギャル?? とにかくこのままでは治らないので医者に診てもらえと言い、皮膚科の電話番号を教えてくれ予約を取れとアドバイスくれた。『ギャル/gale』=『疥癬』のこと。まあ要するにダニが皮膚に寄生している病気・・・えええっーーー! ギョッとしてすぐに医者に電話したのは言うまでもない。

翌日だったか、紹介された医者のアパートになんとかたどり着き重々しいドアベルを鳴らした。はっきりとした記憶はないのだが、医者自らドアを開け診察室に案内されたような気がするし、診察室と言ってもアパートの1室の書斎だった。

親子3人の診察を終え医師が出した診断は・・「アレルギーだね」だった。多分ホテルのシーツなどの洗剤にまけたのだろうとのたまう。この医師との会話は英語だった。当時、フランスにおいて英語を話すのは知識階級に限られている様子だった。飲み薬と塗り薬の処方箋を出してくれ、例のギャルと叫んだ薬局に寄りクスリを受け取った。
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なんでシーツで?と不思議だったが、いま滞在しているホテルは以前も泊まっていたが何ら問題はなかったはず。と、ここで思い出したのが、小さな虫がガサガサ這ってたパリリヨン駅の1泊した安宿。シーツに防虫剤でも散布していたのだろうか、とにかく考えられる原因は「あそこ!」しかない。これ以降、どんなに貧乏でも病気になるくらいなら極力安宿は避けなくてはならないと肝に銘じたエカキのツマだった。
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*ホテルの窓から描いたスケッチ。上の写真と同じ場所。
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by nabetsuma | 2010-12-14 10:04 | 旅ツマ6パリ→イギリス

TabitsumaJunk「27:パリで“芋づる式人的交流”」の巻

1980年、再びパリに戻ったエカキ一家。イタリアからの旅程は以下の通り。
         <イタリア編その2>
3.03/フィレンツェからファエンツァへ旅立つ
3.05/FAENZAからVENEZIAへ(表記をアルファベットに変更)
3.10/VENEZIAからMILANOへ
3.13/MILANOからPARISへ
         <パリ編:2週間>
3.13/PARIS到着
3.27/PARISからFOLKESTONEへ(仏→英国)
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1980年3月15日/エカキの手帳より
『今朝は少々寒かったがSt.Antoineの通りをうろつき、昼はSt.Jacqueの日本食堂「京子」に行く。わりあいおいしく日本の味だった。その帰りにSt.Louis島のソルベで有名な「berthillon」という店でソルベとグラースを買って寒風に吹かれながらホテルまで帰った。味は非常によかった。セーヌは灰色にくすみパリの叙情をたたえ流れてゆく。この色こそがパリのエスプリに違いない』

この「京子」という日本食を扱うミニスーパーの中に食事できるスペースありでこのあと何度か利用することになる。奇遇だが、Kcousさんもちょうど同時期パリに居て、この京子あたりがテリトリー内ということで「懐かしい!」と言っていた。が、エカキ一家と遭遇することは・・なかった。ざんねん。

*メモ/今現在、オペラ座の近くに「京子食品」という日本の食料品店があるがパンテオンの京子が引っ越したのかなあ・・

1980年3月17日
パリに5年住んでいるという日本人画家のナガハシさんとノートルダムの前で待ち合わせ、昼食を「三与子」という日本料理屋で一緒に食べた。出国前の1年ほど、エカキとツマはアテネフランセでそれぞれ仏語と英語を学んでいた。ナガハシさんはツマの級友だった年配の女性から紹介された。なんでも甥っ子がパリにしばらく住んでいてちょうど帰国しているから話を聞くと良いとアドバイスされ、電話したのがそのナガハシ氏。パリに来られたら一度ご飯でも食べましょう、と約束していた。

氏とよくよく話してみると、ペルージャでお世話になったマキさんと都立芸術高校(略してゲイコー)の同級生だったことが判明。ナガハシ氏の奥さんは同じくゲイコーの同級生で武蔵美に行ってたとか。なにやら、ずるずると人間関係が芋づる式で出てきて妙に感心したのだった。

そして・・またまたトラブルが。。。
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by nabetsuma | 2010-12-13 14:19 | 旅ツマ6パリ→イギリス

ヴィンテージ・ナベを国内外から収集し「鍋道」を極めんがため精進する不敵な奥様。


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