カテゴリ:旅ツマ5イタリア→パリ( 4 )

TabitsumaJunk「23:ファエンツアからベネチアへ」の巻

EuroQuest'80

むかしむかし東京の南阿佐ヶ谷に美大を出てアパートの管理人をしながらも漠然と渡欧したいという野望を持ったエカキ一家が住んでいた。まったくあてもないのにその日のために備えて、そのエカキとツマは語学学校に通っていた。

1979年10月末、銀座でエカキ初の個展が行なわれ、まとまった収入があった。あれま? そのうえ画廊サイドから、彼の地で製作した作品をまとめて買うから行って来い!、というオマケの申し出があった。渡りに舟だった。

あとはあれよあれよというまに、大韓航空の1年間オープンチケット・1年分の海外旅行保険・旅支度・アパートの引越と準備が進み、とにかくすべてが「Go!」という流れに向かって行った。この間1ヶ月少々。呆れたことに、どこに住んで製作を行なうかという点が実にあやふやだった。フランスよりスペインやポルトガルあたりが物価が安くていいんじゃないか、とか。12月に旅をスタートさせるんだから、パリに着いたらさっさと南下するのがいいんじゃないか、とか。

そうこういってるうちに、とっととエカキ一家は1979年12月19日成田より出国、20日朝パリのオルリー空港に降り立った。1年間の苦難の旅の始まりであった。
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以上、今から30年前のエカキ一家の『EuroQuest記』の始まりです。ブログ左上のカテゴリ「旅ツマ」シリーズの「1」から「4」までは、すでに3年前に綴られています。未読の方はまずは「旅ツマ1パリ→スペイン」よりお読みください。3年も前じゃあすっかり忘れた、という方もどうぞ。

<イタリア編その1>「旅ツマ4イタリア編
2.08/ジェノヴァ
2.09/ピサ
2.11/フィレンツェ
2.12/ペルージャへ
2.23/フィレンツェに戻る=
   
ここからは・・新連載の、始まり、はじまり〜〜
<イタリア編その2>
3.03/フィレンツェからファエンツァへ旅立つ
3.05/FAENZAからVENEZIAへ(表記をアルファベットに変更)
3.10/VENEZIAからMILANOへ
3.13/MILANOからPARISへ
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3月3日
10日もいたフィレンツェに別れを告げ、山岳を越えて走る列車に乗りアドレア海のほうへ向う。主たる目的地はベネチアだが、海岸線途中の小さな街ファエンツァに寄り2泊する。わざわざこの街に寄ったのは世界有数の陶器博物館を見るためで、手帳には5ページに渡ってその博物館で見た陶器の記録がある。

エカキの手帳より。
『館内で声をかけてくる青年がいたので話してみると、陶芸家で益子と備前に3年居たというスイスの人だった。彼は日本の陶器が一番いいと言ってくれたが、備前でつくった作品の写真を見せてくれた』

ちなみにこのファエンツァでエカキツマが覚えていることは・・・よほど日本人(東洋人)が珍しいのか、立ち止まってジロジロ見られたこと。あと、息子を連れてウロついていたら「COOP」という看板が目に入り、COOPって日本だけじゃないんだ、とえらく感嘆したことだった。この後、ボルドーで住み始めた頃、息子が通うことになった幼稚園のそばにやはりスーパーの小さなCOOPがあった。

3月5日エカキの手帳より。
『ファエンツァからフェラーラを経由する予定だったが直接ベネチアに行くことにする。悪名高きホテル難と観光ずれしている土地柄、良し悪しがはっきりと分かれる街のようだ。ベネチアまでの車中では写真家のフィンランド青年と話をした。S.LUCIA駅を出ると、はっとするように明るい建物と運河が眼前に広がる。水上バスでカナルグランデをゆっくりと少々肌寒い海風に吹かれながらS.MARCOまで。ツーリズモで18000Lのロカンダを予約してくれたので大変助かった』
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ここでイタリアのホテル事情について。当時のイタリアでは我々のような格安ツアーの旅人が利用可能な宿と言えば、ペンショーネもしくはロカンダと呼ばれる安宿(素泊まり。トイレ風呂共同)くらいで、例えばファエンツァでは風呂付きダブルのペンショーネで12500Lだったという記載あり。とすると、観光地のベネチアのロカンダで18000L、風呂付きのペンショーネがその2/3のファエンツァ、その差は・・「都会度」?      (参考までに、当時の1L=0.3円)

このベネチアでの思い出と言えば・・「エカキ一家、宿の主より詰問される事件」と「エカキツマ、人生で初めての○○○○○事件」かな。
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*むかしのフィルムカメラの写真って・・いい感じ〜
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by nabetsuma | 2010-12-10 11:29 | 旅ツマ5イタリア→パリ

TabitsumaJunk「24:ベネチア事件簿1、2」の巻

1980年3月5日/夜、息子が急に高熱を出した。

とうことで、2日間熱は上がったり下がったりを繰り返したので外食に出かけられず、エカキとツマが交代で買い出しに。そそくさと怪しい雰囲気で何度か荷物を持って宿を出入りしていたら、とうとう宿のオーナーより検問を受けてしまう。どうやら部屋で料理をしているのでは? と疑われたらしい(まあ、似たようなことやってたんだけど)。奥さんのイタリア語はちんぷんかんぷんだったが、ご主人は英語を話したので(さすが観光地!)、こちらの事情を説明したら、それは大変!ということで医者やら薬やらと色々心配してくれた。日本から薬はたっぷり持参しているし、熱はなんとか下がったとつけ加えてやっと放免してもらえる。それでも「バンビーノを見せろ!」と言うので部屋に案内したら、かわいそうにと氷枕やら色々と気遣ってくれた。写真正面はそのお宿。MINI BARと看板がある建物。
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そんなこんなのときに追撃が! 
3月7日/エカキの手帳より
『宿に戻ってみるとツマがベッドを動かそうと力を入れ過ぎ”ぎっくり腰”になって苦しんでいた。宿のおばさんが湯たんぽと塗り薬をくれ、鎮痛剤の座薬をすすめてくれたので買ってきて入れたがたいした効き目はなく痛い痛いと言い通しで弱った。息子のほうは今日は熱もなくなんとか良くなったのだが』
ツマ、生まれて初めての”ぎっくり腰”。ベッドの下を掃除しようとしたのが間違いのもと(いらんことを)。

翌日エカキは息子と妻を宿に残し・・
『ほんのすこしツマの痛みがやわらいだので午後スケッチに出る。ヴェネチアの風景はいざ描くとなるとかなり難しいものだ。問題は色が多いこと、建物の形や窓が複雑なこと、水の反映、ありきたりの絵ハガキ的な図になりやすいこと、ときりがない。かなり苦しんだ』

その苦行の結果がこちら。
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写真を探していたら出てきた。たぶん同じ場所だと思われる。
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写真は階上の部屋の窓から撮った様子である。
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by nabetsuma | 2010-12-09 11:54 | 旅ツマ5イタリア→パリ

TabitsumaJunk「25:ミラノのフランチェスカ」の巻

実はフランスからイタリアに入ったあと、ピサに2日間滞在した。その時に泊まった宿でイタリア人の知り合いができた。名をフランチェスカという。休暇でボーイフレンドとミラノからピサに来ていた。彼女のお父さんは医師でアメリカに招かれた時期があり、その際に英語を学んだそうだ。ということで、エカキ一家はミラノへ向う。
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3月10日/エカキの手帳より
『ヴェネチアには五日居たわりには仕事ができなかった。モチーフはいたるところに在り色もいいのだが。今度はここだけ描くつもりで来たいものだ。麗しき街よ、しばしの別れ。ツマの腰はかなり良くなったので今日出発することにした。ここの宿のおじさんとおばさんはやはり良い人たちで、分かれる時に息子にはジュースだの我々にはvinoの瓶まで餞別としてくれた。LOCANDA RIVA』
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ミラノ駅に着いたエカキ一行はインフォメーションセンターで宿の紹介を受け、市電で移動。安いところを探すと中心から少々離れるのはしかたない。エカキは美術三昧な日々を過ごす。BRERA POLDI PEZZOLIPINACOTECA AMBROSIANACASTELLO SFORZESCOCENACOLO VINCIANOPadiglione d’Arte Contemporanea・・などなど。

3月12日/エカキの手帳より
『昼食はPISAで知り合ったフランチェスカさんとそのボーイフレンド氏と共にする。フランチェスカ嬢は青味がかった灰色の瞳が特徴的な美女。我々の宿のおばさんの孫、ダニエッラちゃん15歳もすらりとした美少女で忘れがたい。また、いま思い出すと、ヴェネチアの水上バスのなかで息子をかわいがってくれた二人の少女もそれぞれタイプは違っても美しい子たちだった』
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ミラノ大聖堂前のフランチェスカ。

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by nabetsuma | 2010-12-08 18:06 | 旅ツマ5イタリア→パリ

TabitsumaJunk「26:ミラノから再びパリへ!」の巻

1980年3月13日/エカキの手帳より
『ミラノを離れ、一路パリへ向う。途中イタリアとスイスの国境で見かけた灰色の瓦で屋根を葺いた石造りの民家は、渋く味わいがあった。白雪を頂いたアルプスは恐ろしいほどの美しさで左右に迫ってくる。SIONという町の岩上の城は良い形をしており、灰っぽい感じがイタリアのものを見慣れた目には新鮮に写った。レマン湖のほとりを通過。かの有名な古城をちらっと車窓から目にする』

列車はミラノからスイスを通過しディジョンを経てパリに到着。パリリヨン駅に荷物を預けて近くにある安い中華(日本食レストランではないが、ラーメンがあるということで当時有名だった)で夕食を済ませた。最初に利用したユダヤ人街の安宿に行くには子連れには遅い時間帯だったので、しかたなく駅そばの1泊46Fの宿に入る。これがとんでもない宿だと分かったのは翌朝のことだった。。。
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*メモ/パリ出発の前日、エカキ一家が入手したのは「ブリットレイルパス」。英国内で利用する列車乗り放題パスなんだけど、いま案内HPをみたら、すごいねえ、種類が増えとる。。。当時はユーレイルパスと共に有名で、英国以外の国で買うことができ、日本国内で買うより現地のほうが安かった。(その他、検索すれば「ヨーロッパの鉄道パス」がやまほど出てくる。)

もちろん、このパスをすぐに使う訳ではなく、パリでしばらく休養したのち英国に向う予定だったための購入だ。ミラノからパリまでは、以前スペインで買った「トランスアルピーノ」という若人向けのチケットを使った。
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さてさて、長旅で疲れ果て眠った宿の朝・・ん?なにやらガサガサとうごめく音に覚醒したツマが見たもの、それは・・ギャッギャぁーー

枕元から虫があちこち布団の中に移動しているじゃあないか!? おえーー! 
慌て飛び起き、息子を抱きかかえ、エカキを起こしとっとと宿をおんでた。その後以前滞在した安宿にまた入りエカキはせっせとルーブルに通う日々となった。

*「旅ツマ6パリ→イギリス」につづく
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by nabetsuma | 2010-12-07 11:04 | 旅ツマ5イタリア→パリ

ヴィンテージ・ナベを国内外から収集し「鍋道」を極めんがため精進する不敵な奥様。


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