2008年 01月 17日
NabetsumaJunk「震災と長田と中学のこと・・」の巻
たまたま年末の帰郷のおり、神戸の伯母(エカキ母の妹)宅に寄ったら、ちかくの不動産屋の窓に1枚の広告が〜「庭付き一軒家、4DK、車庫あり、6万円」なり〜不動産屋の広告見取り図が大好きなあたしは見た瞬間に「これはよさそう!優良物件だわ!」。ということで決まり。今から23年前のお話である。
長田という街はそれなりに広く、テレビでもうもうと煙があがって燃えていたのはJR長田駅周辺であり、我々の住んでいたのは高速長田駅(阪急電車・阪神電車・神戸高速鉄道が相互乗り入れ)の北方向だった。長田神社からまだまだ小高い丘を登って行き大丸山公園というだだっぴろい公園のすぐ下だった。
あの地震で家は全壊したが、死ぬどころか家族全員にケガひとつなかったのは、家屋が平屋だったおかげである。近くで死者はけっこう出ているのだ、なにせ倒壊の家が多かったし、山の斜面は地滑りで建っていた家々の面影もなかったのだった・・ひとばんで周辺の風景が一変していた・・
ひとやすみね。左のほうに写っているポスターは震災前に東急ハンズでもとめたタンタンのカレンダー。1995年とある。震災を忘れないようずうっと壁にかけてある。
そんな高名をまったく知らない我々に周囲の人たちはことあるごとに「息子さん転校するんでしょ?」「中学は私学?」とか何かとアドバイスが飛び交うのであった。なんでぇ? それはね、丸山中学、略して「マルチュー」はそのむかし神戸一荒れた中学だったらしい。トイレというトイレにはドアがなく、学校中の窓ガラスは割れて1枚も入っていなかったそうな・・さぶっブルブルッ!
ということで、はい、息子はむろんその高名な中学に入り無事卒業した。荒れた中学だったもんで、担任が2人いるわ、なにかと配慮されて有意義な3年間を過ごすことができたのであった。そういえばときどき事件はありましたな・・中坊のくせに近くの高校生を喝アゲしたとか、ナイフで傷害とか・・
そして、地震前に内定が出ていた高卒就職組の息子の友人たちのほとんどがその内定が取り消された(就職先が被災したため)ことも辛い思い出・・
さてはてそんななか、犬1匹を抱えたエカキ一家の家探しは至難の業だったことは言うまでもない。なんとか伝手を頼り長年空き家だった京都の古家を借りることに成功。そ・し・て12年、その古家を後にしたのが昨年であった。ちなみにその古家、我々がでたあと大家さんの依頼でリフォーム会社が調べたところ土台から腐っており、とうていリフォームでは無理と診断されたそうな・・震度5くらいで倒壊だったとか・・運のいいあたしらだった・・